謁種子島時堯墓 其二【2009.10】(種子島時堯の墓に謁す 其の二)

2009年10月21日水曜日

詠史 鹿児島県 種子島




謁種子島時堯墓 其二

中原群牧競雄時
第一英豪知是誰
南島使君如不在
蜻洲滅裂屬蠻夷

2009年10月作

押韻

時・誰・夷:上平声四支韻

訓読

種子島時堯の墓に謁す 其の二

中原の群牧 雄を競ふ時
第一の英豪 知んぬ是れ誰ぞ
南島の使君 如し在らずんば
蜻洲 滅裂して蛮夷に属せしならなん

種子島時尭「種子島時堯の墓に謁す 其の一」の注を参照
中原:もと中国の黄河流域。転じて天下の中心。
群牧:群雄に同じ。「牧」は地方長官、大名。
知是誰:いったい誰だろうか
使君:太守。地方長官。大名。
蜻洲:=蜻蛉洲。日本のこと。神武天皇が大和で国見して「蜻蛉(あきつ)のとなめのごとし」と言ったことから。

種子島時尭の墓にお参りする

国の中央部、畿内や東海の群雄たちがその強さを競い合っていた時代
天下第一の英傑はいったい誰であったのだろうか
それはきっと、南の島の太守であった種子島時尭であろう、もし彼がいなかったなら
鉄砲の国産化もなく戦国乱世が終わることなく日本は分裂して滅亡し異国に服属することになっていただろうから

補足

冒頭の写真は、種子島門倉岬にある「鉄砲伝来紀功碑」です。