拜住吉毘沙門天【2025.01】(住吉毘沙門天を拝す)
拜住吉毘沙門天 幷序
天王山東福寺在攝州住吉。以一座毘沙門天王像爲本尊、世人呼之稱住吉毘沙門天。元是大楠公所奉古佛、當時在千早城。聞説大楠公日夜拜之、由其加護得小楠公。像移置東福寺後、小楠公亦崇敬甚篤。大小楠公奮戰敢鬪、不少人知人力所不及、蓋是毘沙門天靈驗乎。于今本尊爲寺所秘藏、龕扉常閉、賽客不可窺見其姿。只纔正月初三啓龕、以許賽客面拜。乙巳元旦、余被導於法緣訪寺、逢遇啓龕之慶事、忝得拜覲本尊。因賦一詩。
坐趁東風訪梵堂
恭窺寶像抹香芳
爪拳將振三叉戟
筋骨堪欺百鍊鋼
扶護二楠靈驗顯
惠濟萬姓善緣長
啓龕迎歳兩般喜
福伴福來祥喚祥
2025年1月
押韻
下平声七陽韻:堂・芳・鋼・長・祥
訓読
住吉毘沙門天を拝す 並びに序
天王山東福寺は摂州住吉に在り。一座の毘沙門天王像を以て本尊と為し、世人 之を呼んで住吉毘沙門天と称す。元と是れ大楠公 奉ずる所の古仏にして、当時 千早城に在り。聞くならく大楠公 日夜 之を拝し、其の加護に由りて小楠公を得たると。像 東福寺に移置せられて後、小楠公も亦た崇敬 甚だ篤し。大小楠公の奮戦敢闘、人知人力の及ばざる所少なからざるは、蓋し是れ毘沙門天の霊験ならんか。今において本尊は寺の秘蔵する所と為り、龕扉 常に閉ぢ、賽客 其の姿を窺見すべからず。只だ纔かに正月初三のみ啓龕し、以て賽客の面拝するを許す。乙巳元旦、余 法縁に導かれて寺を訪ね、啓龕の慶事に逢遇し、忝くも本尊を拝覲するを得たり。因りて一詩を賦す。
坐ろに東風を趁ひて 梵堂を訪ね
宝像を恭窺すれば 抹香 芳し
爪拳 将に振るはんとす 三叉の戟
筋骨 欺くに堪へたり 百錬の鋼
二楠を扶護して 霊験 顕らかに
万姓を恵済して 善縁 長し
啓龕 迎歳 両般の喜び
福 福を伴ひ来たり 祥 祥を喚ぶ
注
住吉毘沙門天:天王山東福寺の本尊。楠木正成の千早城における念持仏であり、その後、東福寺に移されたという。現在は秘仏となっており通常は拝観できない(代わりにお前立を厨子の前に安置している)が、正月三ヶ日のみ公開している。
天王山東福寺:大阪市住吉区にあり。信貴山真言宗。弘法大師開基と伝わるが、その時期や経緯はつまびらかでない。現在の本堂は正徳二年(一七一二年)に再興されたもので、もともと旧熊野街道に面する場所に位置していたが、文化年間に百メートルほど東の現在地に移された。
初三:月の第三日、または月の最初の三日間。ここでは後者。
啓龕:厨子を開いて中の秘仏を公開すること。ご開帳。 柴山栗山《進學三喩》「暮春天氣、風日和喣、加以西山吉峰大士像啓龕。都人士女、相將行香」
恭窺:つつしんで窺い見る
寶像:原義は宝石で飾られた立派な仏像。貴重な秘仏であることからこう表現した。
抹香:粉末状のお香で、もともとは沈香や白檀を用いたものを仏像や修行者に塗りこんだり、仏塔に撒いたりした。現在では樒の樹皮・葉の乾燥物を主に法要時の抹香焼香に用いる。
爪拳:爪のある拳、爪と拳。ここでは単に手の意味。 黃庭堅《觀畫角鷹》「爪拳金鉤嘴屈鐵 萬里風雲藏勁翮」
三叉戟:先が三つ又になった鉾。住吉毘沙門天は右手に三叉戟を握り、左手に宝塔を捧げ持つ。
扶護:たすけ守る。 顔延之《赭白馬賦》「所以崇衛威神、扶護警蹕」
二楠:大楠公と小楠公。 西脇呉石《建武中興六百年書感》「建武中興業不全 二楠忠節人感天」
惠濟:恵み救う。 陸機《謝平原内史表》「皇澤廣被、惠濟無遠」
萬姓:多くの人民。万民。
兩般:二通り。 賈島《聞蟬感懷》「正遇友人來告別 一心分作兩般悲」
訳
住吉毘沙門天を拝す
序文:天王山東福寺は摂津国住吉にある。一尊の毘沙門天王像を本尊としていて、世の人はこれを「住吉毘沙門天」と呼んでいる。これは元々、大楠公が念持していた古仏で、当時は千早城にあった。聞くところでは、大楠公はこの仏像を日夜拝んで、そのご加護により小楠公を授かったという。仏像が東福寺に移された後、小楠公もまた非常に篤く崇敬した。大小の両楠公の奮戦敢闘に人知人力の及ばないところが少なくないのは、思うに毘沙門天の霊験なのであろうか。今では本尊は寺の秘仏となっていて、厨子の扉は常時閉ざされ、参拝客はその姿を窺い見ることもできない。ただわずかに正月三ヶ日だけは開帳し、参拝客が目の当たりに拝むことを許している。乙巳の年の元旦、私は仏縁に導かれて寺を訪ね、ご開帳の慶事にたまたま出会い、ありがたいことに本尊を拝み見ることができた。そこで一詩を詠んだ。
なんとなしに新春の風に吹かれるまま寺を訪ね
つつしんで貴重な秘仏を窺い見ればかぐわしい抹香がただよってくる
その手は今にも三叉の戟を振りまわしそうな迫力であり
その筋骨は百錬の鋼と見まがうほどのたくましさである
大小の両楠公を助け守った霊験はあきらかであり
万民に恵みをもたらし救った善き仏縁は長く続いている
ご開帳と新年と二通りの喜びが重なり、福が福を伴って来て
めでたさがめでたさを呼ぶように感じる
補足
元旦に住吉毘沙門天に参拝し、正月三が日のみ御開帳される秘仏の御本尊を拝むことができたので、その感動を詠みました。もっとも、本堂での参拝中は秘仏を目の当たりにしていることを意識して緊張してしまい、そのお姿はあまり覚えておらず、参拝の際にいただいたパンフレットの写真を自宅で身ながら句を練りました。
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