謁種子島時堯墓 其一【2009.10】(種子島時堯の墓に謁す 其の一)

2009年10月21日水曜日

詠史 鹿児島県 種子島




謁種子島時堯墓 其一

海内紛訌瀕亂亡
封君雖少已賢良
出藍機巧驚天下
使以島名呼火鎗

2009年10月作

押韻

亡・良・鎗:下平声七陽韻

訓読

種子島時尭の墓に謁す 其の一

海内 紛訌して 乱亡に瀕す
封君 少(わか)きと雖も已に賢良
出藍の機巧 天下を驚かし
島名を以て火鎗を呼ばしむ

種子島時尭:1528~1579。種子島氏14代当主。父恵時から家督を継いだ時期は不明だが、鉄砲伝来の時点ではすでに当主であったとみられている。種子島氏は島津氏の家臣として種子島や屋久島を支配していた。天文12年8月(1543年9月)、種子島南端の門倉岬にポルトガル商人を乗せた中国船が漂着。ポルトガル商人は鉄砲を所持しており、島主時尭の前で実演してみせた。その破壊力に驚いた時尭は二千両もの大金をはたいて2挺を購入し、1挺を鍛冶職人八板金兵衛に貸し与えて複製を命じた。金兵衛は鉄砲を分解して調査し、さまざまな苦労の末に複製に成功した。こうして国産化された鉄砲は瞬く間に日本全土へ伝播し、戦国時代まっただ中の日本に軍事革命を引き起こし、天下統一への流れに重大な影響を及ぼした。
海内:天下
紛訌:うちわでもめる
亂亡:乱れて滅びる
封君:天子から土地を与えられた領主。諸侯、大名。
少:若い。鉄砲伝来当時、種子島時尭は数えで16歳。
賢良:かしこくすぐれている
出藍:藍を材料にして製造される青の染料が藍そのものより青いように、弟子が師匠よりも立派になること。《荀子・勧學》「靑取之於藍而靑於藍(青は之を藍より取りて藍より青し)」にもとづく。
機巧:たくみなしかけ、からくり。精巧な装置。
使以島名呼火鎗:「火鎗」は鉄砲。種子島から日本全国へひろまっていった鉄砲は、別名「たねがしま」と呼ばれた。

種子島時尭の墓にお参りする

当時、国内は日本人同士で争い、乱れて滅びる危機に瀕していた
種子島の領主である時尭はまだ若かったが、すでに賢くすぐれていた(だから鉄砲の重要性を認識し国産化への道を開いた)
手本としたポルトガルの鉄砲を上回るほど精巧に作り上げられた国産銃は天下を驚かし
種子島という島の名前でもって鉄砲のことを呼ばせるほどであった

補足

種子島氏の代々当主の墓は、種子島氏の祈願寺であった慈遠寺の北側に位置する「御坊墓地」にあります。立派な廟などがあるわけではなく、墓石が並んでいるだけの非常に簡素なものでした。種子島は砂鉄が豊富なため鍛冶が盛んで、日本全国から鍛冶職人が修行に来るようなところだったそうで、そういう土地柄だったからこそ鉄砲の国産化に成功できたともいえます。そう考えるとポルトガル商人を乗せた船がこの島に漂着したことは奇跡のように感じられます。あるいは同じような船が漂着して鉄砲に触れた場所はほかにもあったものの、そこには種子島のような鍛冶の技術がないため複製して自作することができず、「鉄砲伝来の地」にはなれなかったということなのかもしれません。そうだとすると、種子島が「鉄砲伝来の地」となったのは奇跡ではなく必然だということになります。