訪門倉岬有感 其一【2009.10】(門倉岬を訪れて感有り 其の一)
訪門倉岬有感 其一
靑波碧浪濯朝陽
浩浩大瀛通異疆
若莫蠻船來此島
後年不有甲侯亡
2009年10月作
押韻
陽・疆・亡:下平声七陽韻
訓読
門倉岬を訪ねて感有り 其の一
青波 碧浪 朝陽を濯ひ
浩浩たる大瀛 異疆に通ず
若し 蛮船の此島に来ること莫くんば
後年 甲侯の亡ぶこと有らざらん
注
門倉岬:種子島南端に位置する岬。1543(天文12)年、明人の船がここに漂着、乗船していたポルトガル人によって日本に鉄砲が伝えられた。
浩浩:広大なさま。
大瀛:大海。
異疆:異国
甲侯:甲斐の領主、武田氏。1575(天正3)年、長篠の戦いで大量の鉄砲を活用した織田・徳川連合軍に大敗して衰退し、1582(天正10)年滅亡した。
訳
門倉岬を尋ねて感じたこと
青い波、碧の波がのぼってくる朝日を洗い
広大な海ははるか遠くの異国までつながっている
もしポルトガル人を乗せた船がこの島に来て鉄砲を伝えることがなかったとしたら
甲斐の武田氏が亡ぶこともなかったであろうに
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