忘歸洞

濕煙滿窟覆湯池
近聴奔濤鳴斷磯
洞口靑天雲自在
仙郷爭得不忘歸

2009年7月

押韻

池・磯・歸:上平声五微韻.「池」は支韻からの借韻

訓読

忘帰洞

湿煙 窟に滿ち 湯池を覆ふ
近く聴く 奔濤の断磯に鳴るを
洞口の青天 雲に自在
仙郷 爭でか帰るを忘れざるを得ん

濕煙:湯気
湯池:温泉
奔濤:ほとばしる波
斷磯:切り立った磯
:いかでか.反語.どうして~することがあろうか

忘帰洞

湯気が洞窟の中を満たし,温泉の上を覆う
耳をすますと,ほとばしる波が切り立つ磯に砕ける音が近くに聞こえる
洞窟の出口に見える青空には雲が自在に流れていく
仙界のような心地よいこの場所で,どうして帰るのを忘れずにいられるだろうか

補足

天然の洞窟の中の温泉として有名な忘帰洞.ガイドブックなどにはよく「紀州の殿様が帰るのを忘れるほど気持ちいいと言ったことから名づけられた」と書いてありますが,実際は忘帰洞の命名は江戸時代ではなく,大正初期であり,「帰るのを忘れるほど」という言葉は紀州徳川侯爵家の当主である徳川頼倫によるものです.洞窟の中で温泉につかる気持ちよさは確かにほかでは味わえないもので,頼倫侯でなくとも帰りたくなくなります.