白梅

淸淺水流香氣通
横斜枝影不關風
冰魂雪魄白無僞
直在逶迤屈幹中

2009年3月

押韻

通・風・中:上平声一東韻

訓読

白梅

清淺たる水は流れて 香気 通じ
横斜の枝影は風に關せず
冰魂 雪魄 白 偽り無し
直きことは 逶迤たる屈幹の中に在り

淸淺:清らかで浅い.林和靖<<山園小梅>>で「疎影横斜して水淸淺」とうたわれて以来,梅の縁語となっている
横斜:横に斜めにのびていること.淸淺とともに梅の縁語.
冰魂・雪魄:いずれも白梅を指す美称.
直在・・・:《論語・巻十三子路篇》にいわく,「葉公,孔子に語りて曰く,吾が黨に直躬なる者有り.その父,羊を攘みて,子之を証はせりと.孔子曰く,吾が黨の直き者は是に異なる,父は子の爲に隠し,子は父の爲に隠す,直きこと其の中に在りと.(葉の君主が孔子に語って言った,わが郷に正直者がいて,父親が羊を盗んだ際に息子なのに証人になって訴え出たのだと.すると孔子は言った,わが郷の正直者はそれとは異なっています,父は子の罪は隠しますし,子は父の罪を隠します,正直さというのは,そういう見かけの不正直さの中にこそあるのです)」
逶迤:クネクネと曲がりくねるさま

白梅

浅く清らかな水が流れて,そこを梅の香りが通り,
横に斜めにのびる枝の影は風が吹いても,それにゆらぐことがない
氷や雪の魂にもたとえるべき白梅のその清らかな白さには偽りがない
真っ直ぐということは,まさにこのクネクネと曲がりくねった幹の中にこそあるのだ

補足

前回の更新からあっという間に1ヶ月たってしまい,詩もいっぱいたまってしまっているので,順々にアップしていきます.まずは今年最後の梅の詩(たぶん)です.

結句は論語を下敷きにしてます.しかし,論語のこの部分はどうも一筋縄ではいかない部分です.ここで孔子は不正の隠蔽を奨励しているかのようにとれます.現代日本でこれをやったら犯人隠匿になるでしょう.でも前近代の中国歴代王朝では論語のこの部分が根拠になって,むしろ親族の犯罪は「隠さなければならない」ことになっていました(もちろん現実の政治においてはこの建前はしばしば破られます.独裁者が権力を維持していく上で密告者は非常に有用な存在だからです).

ただ,論語のこの部分,孔子は別に身内の犯罪を隠せ,と言っているわけではありません.父親の罪,子の罪は隠したいと思う,そういう自然な感情を無視した「正直」がはたして本当に「正直」なのかという視点を提示しているだけでしょう.ここで孔子が論じているのは「正直」についてであって,身内の犯罪を隠すことの是非についてではありません.論語のこの部分を根拠に,身内の犯罪を告発することを禁じるなどというのは馬鹿げた話です(中国だけではありません.江戸時代の日本の儒者にもそういう馬鹿げた考え方の人はいました).そもそも,書物にこう書いてあるから現実の法制度も社会の仕組みも人の生き方もこうしなければならない,こうであらねばならない,などというのは真っ当な考え方ではありません.