除夕似家人

窮鬼頼吾何忍追
丈夫俠氣見貧時
一家無所愧天地
多債少銭春可怡

2023年12月

押韻

上平声四支韻:追・時・怡

訓読

除夕 家人に似(しめ)す

窮鬼 吾を頼むに 何ぞ追ふに忍びんや
丈夫の侠気は貧時に見(あらは)る
一家 天地に愧づる所 無くんば
多債 少銭の春も怡ぶべし

除夕:除夜。大晦日の夜
似:示す。見せる。
家人:家族。特に家長から見た妻子。
窮鬼:貧乏神。「送窮鬼【2021.11】(窮鬼を送る)」を参照。
忍:こらえる、がまんする。精神的に耐えられる。
俠氣:おとこ気。弱きを助け強きを挫く心意気。

除夜、家族に示す詩

貧乏神は私を頼って身を寄せているのに、それを追い払うなどどうしてできようか
立派な男子のおとこ気は貧苦の時にこそあらわれるものだ
一家そろって天地に愧じることさえなければ
借金ばかりで金欠の新春も楽しむことができるだろう

補足

春風吟社12月提出の題詠です。題詠ですので、題意に沿うことが第一であり、事実にとらわれる必要はありません。小生、あわれな単身者であり、家人などありませんし、そもそも家父長制自体もはや存在しない時代です。それでもこの題で詩を詠む以上は、家長として同居の家人に対し、一年を振り返り新年を迎えるに当たっての訓戒や感謝を述べたり、心構えを説いたりするという「設定」で詠むのが題詠というものなのです。いわば言語によるコスプレですから、コスプレの対象にいかになり切るかが重要であって、実生活がどうかは関係ありません。もちろん、題意に沿ってさえいれば、実生活を詠みこんでも問題ありませんが、実生活を詠むために題意から外れるのは本末転倒です。

文学は現実を表現しなければならないとか、唯一無二の個性を発揮しなければならないとかいうのは近代人の妄想ですから、そういう考えにとらわれると下らない詩になります。