拜仁德帝御陵【2023.11】(仁徳帝の御陵を拝す)
拜仁德帝御陵
周濠鯉鮒浴遺光
松籟禽歌頌古長
父祖相傳洪祚貴
弟兄互讓美蹤芳
三年免役民生定
一首詠歌君道彰
宜矣御陵無比類
其仁其德兩汪洋
2023年11月
押韻
下平声七陽韻:光・長・芳・彰・洋
訓読
仁徳帝の御陵を拝す
周濠の鯉鮒 遺光に浴し
松籟 禽歌 古を頌すること長し
父祖 相ひ伝えて 洪祚 貴(たっと)く
弟兄 互ひに譲って 美蹤 芳(かんば)し
三年 役を免じて 民生 定まり
一首 歌を詠じて 君道 彰らかなり
宜(むべ)なり 御陵 比類無きこと
其の仁 其の徳 両つながら汪洋
注
仁德帝御陵:正式名「百舌鳥耳原中陵」。大仙陵古墳、大山古墳、仁徳陵古墳などとも呼ぶ。堺市堺区大仙町にあり。墳丘長486メートル、墳丘基底部面積12万平方メートル、周濠水面から上の体積だけで140万立方メートルの世界最大級の墳墓。濠に堆積するヘドロの底を基点とすれば体積は300万立方メートル以上と推測され、秦始皇帝陵を超えて世界最大の墳墓となる。令和元年7月、周辺古墳群とともに世界文化遺産に登録された。
周濠:古墳の墳丘の周囲にめぐらされた濠。仁徳陵は三重の水濠に囲まれている。
洪祚:大いなる位。帝位の美称。
弟兄互讓:応神天皇崩御後、皇太子の菟道稚郎子は兄の大鷦鷯尊のほうが皇位にふさわしいとして即位を拒否し、一方の大鷦鷯尊も先帝の遺志を重んじて即位を拒み、互いに皇位を譲り合うこと三年に及んだ。最終的に菟道稚郎子の薨去(『日本書紀』によれば自死、『古事記』によれば病死)によって大鷦鷯尊が即位した(仁徳天皇)。
美蹤:美しいおこない、善行。また、その跡。
三年免役:仁徳天皇4年春、天皇は高台から国を見渡して民の家々から炊煙が上がっていないのに気づき、詔して三年間賦役を免除した。三年後、再び国を見渡すと、どの家からも炊煙が上がっていた。
一首詠歌:仁徳天皇御製「高き屋に のぼりて見れば 煙立つ 民のかまどは 賑はひにけり」
汪洋:大海のように広大なさま
訳
仁徳天皇の御陵に参拝する
御陵の周濠に棲む鯉や鮒までが今なお遺る帝の恵みの光に浴し
松風の響きと鳥の歌声は長くいにしえをたたえ続けている
父祖代々伝えてきた大いなる皇位は貴いものであり
その貴い皇位を仁徳帝と弟皇子が互いに譲り合ったことは美しい行いとして名高い
即位してからは三年間賦役を免除して民の生活を安定させ
一首の和歌を詠じることで君主の道を明らかにした
その御陵が比類なく立派であることはもっともなことである
「仁徳」という諡号さながら、その仁といい、その徳といい、いずれも海のように広く大きいのだから
補足
11月23日(祝)、堺で開催された「世界遺産が導く縄文と古墳の協演 大阪フォーラム」というシンポジウムに出かけた際、シンポジウムの前に仁徳天皇の御陵に参拝しました。その折の感懐を詩にしようと思ったのですが、絶句には到底収めきれない内容になったため、頑張って対句を仕立てて七言律詩としました。
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿