夜坐聞蟲【2023.09】(夜坐 虫を聞く)
夜坐聞蟲
淸宵獨坐破窗前
遠近蟲聲漫興牽
宛似人間存苦樂
或勤機杼或耽絃
2023年9月
押韻
下平声一先韻:前・牽・絃
訓読
夜坐 虫を聞く
清宵 独り坐す 破窓の前
遠近の虫声 漫興 牽く
宛も似たり 人間に苦楽 存するに
或ひは機杼に勤しみ 或ひは絃に耽る
注
夜坐:夜中に坐っている。夜中に眠らずに坐っている。
漫興:何とはなしにもよおす感興。
機杼:機織り。キリギリスの鳴き声は「ギーッ、チョン、ギーッ、チョン」と機織りの音を思わせることから、日本では古くから「機織り虫(機織る虫)」と呼ばれてきた(紀貫之「秋くれば機織る虫のあるなへに唐錦にも見ゆる野辺かな」)。なお、中国でも「促織(織るを促す)」と呼ばれ、「冬が来る前に機織りを急げ」と鳴いているのだと見立てられてきた。
耽絃:楽器に熱中する。「絃」は「弦」に同じく、弦楽器の意だが、ここでは管絃(楽器の総称、また音楽)の意味に用いている。
訳
夜中に坐って虫の音を聞く
清らかな夜、破れ窓の前にひとり坐り
遠近の虫の音を聞いていると何とはなしに感興がもよおされる
虫たちの世界も人の世と同じで苦もあれば楽もあるのだなあ
機織りに精を出す鳴き声もあれば、楽器に熱中して楽しんでいる鳴き声もあるよ
補足
2023年9月提出の春風吟社題詠です。
題が単に「虫を聞く」ではなく、「夜坐 虫を聞く」である点に注意が必要です。注にも記したとおり、「夜坐」というのは「夜中に眠らずに(もしくは眠れずに)」というニュアンスを含みます。眠らない(眠れない)のにはそれなりのわだかまりが心にあるはずで、そのわだかまりを「虫の音を聞く」という行為とどう結びつけるかが問われる詩題ということになります。この詩では、虫の世界にも人の世と同じように「格差」があるのだなあという感慨によって、夜坐する主人公の心のわだかまりを表出してみました。この主人公は「破窓」の前に坐っているのですから、「機杼に勤し」む苦しい身の上の虫のほうに連帯感を抱き、「絃に耽る」いわば勝ち組の虫に向けて冷ややかな目を向けているわけです。
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