歳朝言志【2021.01】(歳朝 志を言う)
歳朝言志
時艱忍賀歳朝祥
枉酌屠蘇偏斷腸
慙愧去年今日句
一心合望一天康
昨年新正、我賦一詩、其結句曰、一身溫飽一心望。轉結依之。
2021年1月
押韻
下平声七陽韻:祥・腸・康
訓読
歳朝 志を言う
時艱 賀するに忍びんや 歳朝の祥
枉げて屠蘇を酌めば 偏へに断腸
慙愧す 去年今日の句
一心 合に一天の康きを望むべかりしに
昨年新正、我 一詩を賦す、其の結句に曰く、「一身の温飽 一心に望む」と。転結は之に依る。
注
歳朝:元旦。元日の朝。
言志:気持ちを述べる
時艱:時局が困難であること
忍:しばしば忍一字で反語となる。
祥:さいわい。めでたいこと。喜ばしいこと。
枉:まげて。無理にも。
慙愧:恥じ入り後悔する
去年今日:去年の今日、つまり元旦。 菅原道真《九月十日》「去年今夜侍清涼殿 秋思詩篇獨斷腸」
合:当然~すべきだ。結句においては「当然~すべきなのに、当然~すべきだったのに」の意になる場合がある。 薛能《開元觀閑遊》「當時諸葛成何事 只合終身作臥龍(当時の諸葛 何事をか成す 只だ合に終身 臥竜と作るべかりしに)」
一天:一天下に同じ。天下。
訳
元旦に気持ちを述べる
時局が困難をきわめる今、めでたく新年を祝う気分にどうしてなれようか
それでも無理に屠蘇で酔おうとすれば、ことさらに断腸の思いがつのる
恥じ入り後悔しているのは、去年の今日、「一身の温飽一心に望む」などという句を作ったことだ
あの時、本当は世の中全体の安寧無事をこそ、一心に望むべきだったのに
(自注:昨年の正月、私は一首の詩を詠み、その結句でこう述べた「わが身ひとつの幸福をただ一心に願う」と。転結はこのことによる。)
補足
春風吟社1月提出の題詠です。去年の正月に作った詩『奉賦令和二年御題 望』の中で、僕は「一身の温飽一心に望む(わが身ひとつの幸福をただ一心に願う)」などという身勝手な思いを詠みました。それからまもなくしてコロナ禍が始まり、日本も世界もとんでもない一年になってしまいました。身勝手な詩を作ったバチが当たったのではないかという気持ちをぬぐい切れず、一年経った機会に、懺悔の詩を作りました。
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