春曉晏起

朝暉滿牖夢猶深
恍惚聞鶯擁暖衾
放擲三文豈足惜
春眠半刻値千金

本朝俗諺曰早起一朝當三文轉結基之

2020年3月

押韻

下平声侵韻:深・衾・金

訓読

春暁晏起

朝暉 牖に満つるも 夢 猶ほ深し
恍惚として鶯を聞き 暖衾を擁す
三文を放擲するも豈に惜しむに足らんや
春眠半刻 値千金

本朝の俗諺に曰く、早起一朝 三文に当たる、と。転結は之に基づく。

晏起:朝遅く起きること。朝寝。
朝暉:朝の日の光。
:まど。本来、壁に穴をあけて格子をはめた「れんじまど」の意味だが、仄字なので、詩では、平声の「窓」の代わりとしてただ単に「まど」として使うことが多い。
春眠半刻値千金:蘇軾の有名な詩句「春宵一刻値千金」のもじり。蘇軾《春夜詩》「春宵一刻値千金 花有淸香月有陰」
早起一朝當三文:早起きは三文の徳(得)。日本のことわざはもともと中国の客家のことわざ「早起三朝當一工、早起三年當一冬(三日早起きすれば一人分相当の仕事ができる。三年早起きすればひと冬分に相当する時間が得られる)」に由来するともいうことから、このように表現してみた。南宋・樓鑰《午睡戲作》「早起三朝當一工 老來貪睡不相同」。

春の朝寝

朝日が窓いっぱいに差し込んでくるが私はまだ深い夢の中
夢うつつでウグイスの声をうっとりして聞きながら暖かい布団にくるまっている
早起きは三文の徳などというが、三文くらい投げ捨てても何の惜しいことがあろうか
春の朝寝は半刻だけで千金の値打ちがあるというものだ
(自注:我が国のことわざに「早起きは三文の徳」という。転結はこれに基づいている)

補足

「早起きは三文の徳」に反論する詩をいつか作りたいと思っていたのですが、こんな形になりました。僕自身は比較的早起きのほうだと思いますが、朝型生活を他人に強要したり、理想化するのはどうかと思っています。体内時計のダイバーシティだって認められてもいいのではないでしょうか。

ちなみに、「早起きは三文の徳」のもとになったとされる「早起三朝當一工」の詳細については、汎兮堂叢話に『「早起きは三文の徳」の由来とされる「早起三朝當一工」について』という記事を書きましたので、そちらもご参考にしてください。