戊子歳晩過故山有感

空在故山心似客
已忘舊志鬢生霜
阿蒙徒過十余歳
獨倚寒窓送夕陽

2008年12月

押韻

霜・陽:下平声七陽韻.対句のため起句は踏み落とし

訓読

戊子歳晩 故山を過りて感有り

空しく故山に在りて心は客に似たり
已に旧志を忘れて鬢は霜を生ず
阿蒙 徒らに過ごす 十余歳
独り寒窓に倚りて夕陽を送る

戊子:つちのえね.平成二十年.
歳晩:年の暮れ
:「訪ねる」の意味のときは「よぎる」と訓じ,平声となる.現代中国語では第1声.「いきすぎている、あやまち」の場合は仄声.
:もともとそこにいる人ではなく,よそから来た人.文脈により「旅人」「お客」「いそうろう」「外国人」などを意味する.
:現代中国語では第4声だが,漢詩では平仄両用.
阿蒙:《呉書・呂蒙傳》の注に引く《江表傳》にいわく「魯肅上りて周瑜に代はり,蒙を過り言議するに,常に屈を受けんと欲す.肅,蒙の背を拊ちて曰く,「吾謂へらく大弟は但だ武略有るのみと.今に至るに學識英博,復た呉下の阿蒙に非ず」と.蒙曰く,「士別れて三日なれば,即ち更に刮目して相待つべし」と.(訳:魯肅は長江をさかのぼって荊州に行き周瑜の後任となり,呂蒙を訪ねて議論したところ終始言い負かされそうであった.魯肅は呂蒙の背中をたたいて「君は武略にすぐれるだけだと思っていたが,今では学問にすぐれ知識もひろく,もはや呉にいたころの蒙ちゃんではないな」と言った.呂蒙はこたえて「男子たるものは三日も会わなければ,(その間に成長しているはずだから)気持ちもあらたに目をこすって迎えるべきなのです」と言った.)」 呂蒙(178~218),魯肅(172~217)はともに後漢末の呉の武将.この故事から「呉下の阿蒙」「阿蒙」は昔のままで進歩のない人を指す.

戊子の年の暮れ、故郷を訪ねて感じた

得るものもなく故郷に身をおき,生まれ故郷だというのに心はよそもののようだ.
すでに昔の志は忘れてしまい,耳ぎわの髪には白いものが生じている
呂蒙とちがって全く進歩のない私は故郷を出てからの十何年を無駄にすごしてしまい
今はひとりで寒々しい窓によりかかり,沈みゆく夕陽を見送るばかりだ.

補足

年末に田舎に帰省したときの詩です.まあ帰省するときはだいたいこんな気分です.