山寺參禪

曉來打坐白雲陲
松籟溪聲傳隱微
欲聽難聞廣長舌
殺吾殺佛索禪機

2024年7月

押韻

上平声五微韻:陲(支韻から借韻)・微・機

訓読

山寺に参禅す

暁来 打坐す 白雲の陲(ほとり)
松籟 渓声 隠微を伝ふ
聴かんと欲すれば聞き難し 広長舌
吾を殺し 仏を殺して 禅機を索めん

隱微:かすかで外にあらわれないこと。奥深く知り難いこと。 《管子・九守》「明知千里之外、隱微之中。」
廣長舌:仏が備えていた三十二相のひとつ。舌が広く長く柔軟で髪の生え際まで届いたという。転じて仏の言葉。 蘇軾《贈東林總長老》「溪聲便是廣長舌 山色豈非淸淨身」
殺佛:自分を惑わすものは、たとえ仏であろうと徹底的に否定する。 《臨濟錄・示衆》「逢佛殺佛、逢祖殺祖」
禪機:禅の機要。禅の修行によって得られる無我の境地から生じる心のはたらき。 唐・清江《春游司直城西鸕鶿溪別業》「禪機空寂寞 雅趣賴招攜」 《近古史談・豐篇・塙團右衛門》「寧靜子曰、塙團戰國一武夫、而能悟禪機、如此」

山寺で禅を学ぶ

白雲の湧くそばの山寺で明け方から坐禅を組んでいると
松風の音も谷川のせせらぎも奥深い何かを伝えてくるようだ
だが、御仏の言葉というのは聴こうと意識するとかえって聞こえなくなってしまう
今は心中から自分を消し去り、仏をも消し去って、禅機を追い求めよう

補足

ちょっとしたきっかけで禅の境地を題材に作詩してみようという動機で詠んだ作品です。高名な禅僧は花が咲くのを見て禅機を会したとか、かわらけが転がって何かにぶつかって音を立てたのを聞いて禅機を会したとか聞くにつけ、なおさら禅機が何かわからなくなります。見ようとすると見えず、聴こうとすると聞こえないというのは、観察することで観察対象の状態が変わってしまう量子力学の世界のようです。自分のような俗人が禅機を会することは一生ないでしょうが、理解できないことでもそれを題材に詩を詠むことはできるのです。