題山水畫【2024.05】(山水画に題す)
題山水畫
峰前峰後紫霞橫
仙犬仙鷄微有聲
若使夷齊歸此境
滿山靈草足長生
2024年5月
押韻
下平声八庚韻:橫・聲・生
訓読
山水画に題す
峰前 峰後 紫霞 横たはり
仙犬 仙鶏 微かに声有り
若し夷斉をして此の境に帰せしめば
満山の霊草 長生するに足らん
注
紫霞:仙界にたなびく紫のもや。
仙犬仙鷄:仙界の犬、鶏。 錢起《過沈氏山居》「往往仙犬鳴 樵人度深竹」 同《山居新種花藥與道士同遊賦》「胡蝶舞留我 仙鷄閒傍籬」
夷齊:伯夷と叔斉。殷の紂王を討とうとする周の武王を諫めたが聞き入れられず、周の粟を食むことを恥じて首陽山に逃れ、薇を採って飢えをしのいだが、ついに餓死した。 《史記・伯夷叔齊傳》「武王已平殷乱、天下宗周、而伯夷叔斉恥之、義不食周粟。隠於首陽山、采薇而食之、及餓且死、作歌、其辞曰、登彼西山兮、采其薇矣、以暴易暴兮、不知其非矣、神農虞夏忽焉没兮、我安適帰矣、于嗟徂兮、命之衰矣。遂餓死於首陽山。」
訳
山水画を題材に詠む
峰の前にも後ろにも仙界の紫のもやがたなびき
仙界の鶏や犬の声が微かに聞こえてくる
もし伯夷叔斉が首陽山でなくここに身を寄せていたなら
山じゅうに生い茂る霊草のおかげで、飢えるどころか十分長生きできただろうに
補足
2024年6月提出の春風吟社課題詠です。「山水画に題す」という題ですが、特定の山水画が用意されているわけではありません。自分の頭のなかで山水画を想像し、その山水画にふさわしい詩を詠むわけです。実在しない山水画について詠むというのは妙な話ですが、それだけに手腕の問われる詩題です。なお、実在の画について詠む場合も同様ですが、単なる画の説明になってしまわないように注意が必要です。画では描き得ない内容を詠まないと詩にする意味がないからです。
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿