大政奉還を慶ぶ山内容堂公の像

山内容堂公歿後一百五十年有感

勤王佐幕兩期全
大政奉還功最先
遺詠當知憂國志
豈唯墨水竹枝篇

2022年7月

押韻

全・先・篇:下平声一先韻

訓読

山内容堂公没後一百五十年 感有り

勤王 佐幕 両つながら全きを期し
大政奉還の功 最も先んず
遺詠 当に知るべし 憂国の志
豈に唯だ墨水竹枝の篇のみならんや

山内容堂:第十五代土佐藩主。幕末四賢侯のひとり。大政奉還を建白して王政復古に道を開いた。1872年7月26日(明治5年6月21日)没。→漢詩作者紹介 山内容堂
勤王佐幕:公武合体による公議政体を志向する容堂にとって勤王と佐幕は矛盾するものではなかったが、急進尊攘派からは日和見とみなされ、その酒豪ぶりにかけて「酔えば勤王、醒めれば佐幕」と揶揄された。
兩:ふたつながら。両方とも。
墨水竹枝:容堂が晩年入り浸った隅田川界隈の花街の風情を軽妙洒脱に描いた連作。容堂の代表作として広く知られる。

山内容堂公の没後150年にあたり感じることがあって詠む

容堂公は勤王と佐幕の両方ともを全うせんことを願い
大政奉還の実現においてその功績は誰よりも先んずるものだった
残された詩からは、その憂国の思いをこそ知るべきである
有名な墨水竹枝のような軽妙洒脱な作品だけでは決してないのだ

補足

我ら酒飲みの教祖山内容堂公の没後150年に敬意をこめて詠んだ詩です。一般には容堂の知名度も評価もあまり高くはなく、四六時中酔っぱらっていたアル中で、土佐勤王党を弾圧して武市半平太ら純粋な若き志士たちを死に追いやった殿様、という程度のイメージしかない人が多いかもしれませんが、それは容堂に対してあまりに酷な見方です。詩中で述べたとおり、墨水竹枝以外の容堂の詩も読んでもらえれば、彼がまじめに国を憂える非常に賢明な人物であったことがわかるでしょう。そういう思いもあって、今回の詩では容堂公の酒豪ぶりにはあえて触れませんでした。