国姓爺鄭成功入臺三百六十年【2022.02】
国姓爺鄭成功入臺三百六十年
滅親就義是男兒
大廈將顚獨欲支
遺恨東方君子國
敢征韃虜皕年遲
2022年2月
押韻
上平声四支韻:兒・支・師
訓読
国姓爺鄭成功入台三百六十年
親を滅して義に就くは是れ男児
大廈 将に顛れんとするも 独り支へんと欲す
遺恨なり 東方君子の国
敢へて韃虜を征すること 皕年遅きとは
注
鄭成功:明の亡命政権(南明)に仕えた軍人・政治家。明の皇室の姓「朱」を名乗ることを許されたことから「国姓爺」と呼ばれる。1662年2月1日(南明・永歴15年12月13日)、オランダ東インド会社を放逐して台湾に入り、反清復明の拠点とした。1662年6月23日(南明永暦16年5月8日)に亡くなったが、以後二十年余、鄭成功の子孫が台湾に拠って大陸の清朝への抵抗を続けた。日本でも、史実と大きく異なる内容ながら、近松門左衛門の人形浄瑠璃(のちに歌舞伎化)『国性爺合戦』の「和唐内」として広く知られた。
滅親:肉親への情を捨て去る。「大義親を滅す」。鄭成功は、中国人貿易商兼海賊の父・鄭芝龍と日本人の母・田川マツとの間に、平戸で生まれたが、7歳のとき父に従って福建に移った。父・鄭芝龍が南明を見限って清に降ったとき、成功は泣いて引き留めたがかなわず、ついに父と袂を分かった。
大廈:大きな家。国家などのたとえ。 《文中子・事君》「大廈將顚、非一木所支」
遺恨:かえすがえすも残念である。 頼山陽《題不識庵撃機山圖》「遺恨十年磨一劔 流星光底逸長蛇」
東方君子國:日本のこと。鄭芝龍から鄭成功の息子・鄭経の時代まで鄭氏は10回にわたって日本に援軍を要請した(日本乞師)が、すでに鎖国体制を確立していた江戸幕府はこれを黙殺した。
韃虜:韃靼の野蛮人。韃靼は本来はタタールを指すが、女真族(=満洲族)を指す言葉としても用いる。
皕年:二百年。「皕」は「ヒョク」と読み、「二百」を意味する。清の康熙帝によって鄭氏政権が滅ぼされた1683年から約二百年後の1895年、日清戦争で日本が清国を破ることになる。
訳
鄭成功が台湾に入ってから360年
父との縁を切ってでも正義を貫いてこそ真の男子
明朝は滅びゆく運命にあったが彼ひとりそれを支えようとしたのだ
残念でならないのは、何度も援軍を求められた東方君子の国たるわが日本が
ようやく敢然と清国を討ったのは、なんと二百年も遅かったということだ
補足
今年は鄭成功が台湾に入って360年ということで詩に詠んでみました。(→「今年(2022年)〇周年を迎える出来事一覧」参照)
17世紀の鄭氏政権の「日本乞師」と19世紀末の日清戦争とは、実際には何の関係もありませんが、この詩では、レトリックとしてその2つの史実を結び付け、二百年も遅れて「乞師」に応じたのはなんとも残念なこと、という趣向にしました。
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