承久之役後八百年

逆臣恃力及干戈
剩強龍輿渡海波
天道是非誰解辨
淚埀聖上隠岐歌

2021年7月

押韻

下平声五歌韻:戈・波・歌

訓読

承久の役後八百年

逆臣 力を恃んで 干戈に及び
剰つさへ龍輿に強ひて海波を渡らしむ
天道の是非 誰か解く弁ぜんや
涙は垂る 聖上 隠岐の歌

承久之役:承久の乱。承久3年5月15日(1221年6月6日)後鳥羽院挙兵、同6月15日(7月6日)幕府軍入洛し、京方の全面降伏により戦闘終了。
逆臣:北条義時。後鳥羽院は挙兵と同時に義時追討の院宣を発し、義時は朝敵となった。
干戈:盾と矛。転じて戦争。
龍輿:天子の乗り物。天子の象徴。
渡海波:乱後、幕府は後鳥羽院を隠岐へ、順徳院を佐渡へ、土御門院を阿波へ流罪とした。前代未聞の「三帝配流」である。
天道是非:天道は正しいのか、間違っているのか。《史記・伯夷傳》「余甚惑焉。儻所謂天道是邪、非邪。」
解:よくする。できる。
辨:区別する。明らかにする。
聖上:天子。治天の君であった後鳥羽院。
隠岐歌:後鳥羽院が隠岐に流された直後に詠んだ歌は『遠島御百首』にまとめられている。うちの一首「我こそは新島守よ隠岐の海の荒き浪風心して吹け」は当時の後鳥羽院の境遇を象徴する歌として『増鏡』にも引かれている。ほかにも「泣きまさる我が泪にや色変る物思ふ宿の庭のむら萩」「故郷の一むら薄いかばかりしげき野原と虫の鳴くらん」「思ひやれ真木のとぼそをおしあけて独眺むる秋の夕暮」など。

承久の役から八百年

謀反人が武力にものをいわせて戦争を起こし
あまつさえ治天の君を流罪にして海を渡らせるという暴挙をなした
この史実に対して、いったい誰が天道の是非を明らかにすることができるだろうか
後鳥羽院が隠岐で詠まれた歌を読めば涙が流れ落ちるばかりだ

補足

今年は承久の乱から800年ということで、乱についての本も読んだので(汎兮堂箚記 #18 『承久の乱 ― 真の「武者の世」を告げる大乱』(坂井孝一))、承久の乱を詩に詠んでみました。