那波列翁歿後二百年書感【2021.05】(那波列翁没後二百年 感を書す)
那波列翁歿後二百年書感
韜略縦横征四鄰
歐羅形勢一朝新
何須細細問功罪
二百年間無若人
2021年5月
押韻
上平声十一真韻:鄰・神・人
訓読
那波列翁没後二百年 感を書す
韜略 縦横 四鄰を征し
欧羅の形勢 一朝にして新たなり
何ぞ須ひんや 細細として功罪を問ふを
二百年間 若(かくのごと)き人無し
注
那波列翁:ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン一世)。1769年~1821年。フランスの軍人、政治家。フランス領コルシカ島に生まれ、パリの陸軍士官学校に進学した。軍人としてフランス革命後の混乱の中で台頭、1799年11月にはクーデターにより政権を奪取し、1804年5月、国民投票を経てフランス皇帝に即位した。革命に反対する諸外国との戦争で勝利を重ね、最盛期には、英国とロシアを除く欧州の大部分を勢力下に置いたが、1812年のロシア遠征に大敗して数十万の陸軍を失って衰勢となり、1814年4月、パリが陥落して皇帝を退位させられエルバ島へ流された。1815年2月、エルバ島を脱出し、3月にはパリへ帰還して皇帝に復位したが、6月にはワーテルローの戦いに敗れて再び退位し、南大西洋のセントヘレナ島に幽閉され、1821年5月5日、島で亡くなった。 佐久間象山《題那波列翁像》「何國何代無英雄 平生欽慕波利翁」
韜略:『六韜』『三略』の略。転じて兵法書、また兵法。
歐羅:ヨーロッパ(歐羅巴)。 伊藤博文《丁卯初夏與石川等諸兄話時事席上即賦一絶以呈》「那翁元是起孤島 厭伏歐羅建偉功」
一朝新:ナポレオン戦争により、神聖ローマ帝国は消滅し、プロイセンとオーストリアは大幅に領土を喪失した。ドイツとイタリアにフランスの衛星国がいくつも誕生し、ポーランドはワルシャワ大公国として独立を回復した。
功罪:一介の砲兵士官から皇帝まで昇りつめ、欧州の大部分を勢力下においてフランス革命の理念を欧州全体に輸出し旧体制を打破したナポレオンを一代の英雄とたたえる見方の一方で、否定的な評価も少なくはない。ナポレオン戦争によってフランスの生産年齢人口は大きく減少し、これがその後長く国力を停滞させ英国やドイツの後塵を拝する結果をもたらしたともいわれる。また、ナポレオンが広めたフランス革命の理念は各国のナショナリズムを呼び起こし、その結果、スペイン独立戦争のように彼自身がそれを弾圧する側にまわったことも批判される要因となっている。
若:かくのごとき。このような。 大槻磐溪《佛朗王詞》「妙齡機慧已超倫 海島何圖産若人」
訳
ナポレオン没後200年、感じたことをしるす
ナポレオンは自在の兵法で四方の隣国を征服し
ヨーロッパの形勢をまたたくまに一新してしまった
こまごまと功罪について問題にする必要などどうしてあるだろうか
この二百年、これほどの人物はあらわれていないのだ
補足
今年の5月5日はナポレオン1世没後200年でした。ヨーロッパの歴史を大きく変えた英雄であるだけでなく、フランスから遠く離れた日本の幕末や明治を生きた若者たちの精神にも大きな影響を与えました。ナポレオンの失脚からまもない1818年、長崎を訪れた頼山陽が、出島のオランダ人医師からナポレオンの事績について話を聞き、インスピレーションを刺激されたのか、『佛郎王歌』(フランス王の歌)という詩を詠んでいます。頼山陽の作品だけあって広く読まれたと見え、時代が幕末の騒乱へと向かうにつれて、特に血気盛んな志士たちの間で、ナポレオンという人物に対する関心も高まっていきました。注にも引用してある通り、佐久間象山や伊藤博文もナポレオンに関する詩を詠んでいます。伊藤博文などは足軽の出身ですから、一士官から皇帝まで昇りつめたナポレオンに強い憧れと親近感を抱いていたことは間違いないでしょう。
没後200年経ち、世界はナポレオンの頃とは大きく変わっています。軍事力で他国を征服して英雄になれる時代ではありません。それでも今なお、ナポレオンの名言はいろんなところで引用されますし、伝記を読んで感銘を受け憧れを感じる子供たちも少なくはないでしょう。僕自身も昔、子供向けのナポレオンの伝記を読んでしばらくは感化されたものです。転結はそんな素朴な憧憬を素直に表明してみました。
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