訪成正寺拜中斎大鹽先生墓 其一【2017.03】(成正寺を訪ねて中斎大塩先生の墓を拝す 其の一)

2017年6月4日日曜日

七言絶句 大阪府


訪成正寺拜中斎大鹽先生墓 其一

淨刹臨街轆轆微

俠豪墳墓客臻稀
可憐濟世救民志
不問輸贏問是非

2017年3月作

押韻

微・稀・非:上平声五微韻

訓読

成正寺(じょうしょうじ)を訪ねて中斎大塩先生の墓を拝す 其の一

浄刹は街に臨むも 轆轆 微(かす)かなり
侠豪の墳墓 客 臻(いた)ること稀なり
憐れむべし 済世救民の志
輸贏を問はず 是非を問ふ

成正寺:大阪市北区末広町にある日蓮宗の寺。慶長9年(1604年)建立。大塩家の菩提寺であり、境内に大塩平八郎の墓がある。
中斎大塩先生:大塩平八郎。中斎は大塩の号。
淨刹:寺のこと。
:大通り。
轆轆:車の走る音の形容。
俠豪:おとこ気のある豪傑。
:いたる。やってくる。
可憐:感嘆を示すことば。ひろく物事に心動かされた場合に用いる。立派なことよ、見事なことよ、などの意。
濟世救民:世と民を救済する。「救世濟民」に同じ。大塩は「救民」の旗をかかげて決起した。
輸贏:勝ち負け。「輸」は「負ける」、「贏」は「勝つ」。

成正寺を訪ねて大塩平八郎先生の墓にお参りする その一

寺は大通りに面しているが、車がいきかう音はかすかにしか聞こえない
境内にはおとこ気あふれた豪傑の墓があるが、訪れてやってくる者はまれである
腐敗した世を正し、窮乏する民を救おうとした大塩の志の見事なこと
勝ち負けなど問題とせず、正しいか正しくないかを問題にしたのだ

補足

大塩平八郎が挙兵したのは天保8年2月19日(1837年3月25日)ですので、180年後ということで、3月25日(土)、大塩の墓がある成正寺を訪ねました。その時のことを詠んだ詩です。

成正寺は大阪のまちなか、大通りの近くにありますが、境内は不思議と静かで、街の喧騒は聞こえてきませんでした。寺はもともと大塩家の菩提寺ですが、乱をおこして罪人となった大塩平八郎の一族の墓は当然ながら廃墓となりました。時が移り、明治30年(1897年)に文人画家の田能村直入(田能村竹田の養子。一時、大塩の洗心堂で学んだ)によって境内に大塩平八郎の墓が建立され、大正5年(1916年)には大塩格之助(平八郎の養子でともに挙兵した)の墓も建立されました。昭和20年(1945年)3月の大阪大空襲により寺は焼失、大塩父子の墓も破壊されてしまいましたが、昭和32年(1957年)に本堂とともに墓も再建されました。昭和62年(1987年)には「大塩の乱に殉じた人びとの碑」が建立されて現在に至っています。

私が寺を訪れたときは、境内には誰もいませんでした。しかし、後で知ったのですが、その翌日の3月26日(日)には181回忌の慰霊法要がおこなわれ、記念行事として講演会も開催されたそうです。そうと知っていれば26日に訪ねたのですが、作詩の面からいえば、誰もいない寺を一人訪ねるというシチュエーションのほうがさまになるので、結果的には25日に訪ねてよかったのだと自分を慰めた次第です。